東日本大震災を振り返る・湾岸地区の地震対策-part6
東日本大震災を振り返る・湾岸地区の地震対策-part5に引き続き、震災3日目の2011年3月14日以降を振り返ってみます

当日の写真です。梅が咲いていました。
さて、地震による経済の影響が出始めました。
コロナ禍の今は一時期、日経平均が3万円を超えましたが、この日は1万円割れ。
色々と、考えされられることがあります。
学校は、3月中は4時間授業だったんですね。
被災地への支援も始まってきました。
被災地の中の状況も、わかり始めてきました。
『大丈夫!』
被災地で大変な被害にあって、現在も小さな避難所に待避している方々の合言葉。
気丈に、わざとバカな話をして笑い合っている。
やはり、東北魂健在です!
携帯電話、電波があるのに通話やメールが出来ない。でも、ブログやサイトにはいける状態。(実際、気仙沼で僕はそうでした。)
この、僕のブログに対してのコメント。全部読んでいます。救助要請のコメントもあります。読んで、今すぐ助けに行きたくなります。
(後略)
彼らのスタンスというか、人となりが分かる文章ですね。これから10年間、募金額以外にも東北の人を支えていったのでしょうね。
実は私、幼少期に仙台に住んでいたので、仙台の映像を見た時は驚きを隠せなかったです。
実は、小学生の時に仙台に住んでいました。当時から、三陸沖地震に伴う津波の教育はされていて、映画のようなものを見せられたのを覚えています。その意味では、相当訓練をされていたと思うのに、このような事態になるのは、自然の脅威を感じざるを得ません。また、当初よくニュースに出ていた荒浜地区のある名取川の河口では、父とよく釣りに行っていました。仙台は、海もあり山もあり良い環境ですので、復興を願います。
さて、震災xTwitterx行政という、つながりを作るきっかけにもなってきました。
今では、各行政にて防災用Twitterアカウントを作っていますが、当時はまだなかったですよね。砂川元区議は、どうしているのだろう。
こちらも政治のスピード感の無さが分かるつぶやき。
あのとき、あおきは素晴らしかった。バイヤーさんは、頑張ったんでしょう。
17日になると、電力問題が表面化して、大停電を起こすのではというニュースが飛び交いました。
また、原発事故の件も表面化してきて、日本に来ている外国人は本国に戻ったり、東京以外に避難した人も出てきました。
関連して、マンションでは、子供がいる家庭に向けて水の配布も始まりました。
そして、地震は落ち着いてきましたが、先が見えない状況になってきました。