東日本大震災を振り返る・湾岸地区の地震対策-part4
東日本大震災を振り返る・湾岸地区の地震対策-part3 に続いて、2011年3月12日以降を振り返ってみましょう。

東日本大震災、翌朝の写真です。
夜間も余震が数回会った記憶があります。
都バスやメトロは震災直後も動き始めましたが、ゆりかもめや新幹線はまだ運転していませんでした。
さて、2日目は何が大変だったかというと、スーパーなどの商業機関の状況と、その後の「買い占め」。
翌日は、アオキは開店、文化堂は閉店、HACは、閉店。ビバは閉店。だったようです。
たしか、ビバホームは、2階に上がる歩く歩道が壊れたような気がします。
そして、食べ物関係が品薄になってきています。
また、震災後などは治安が不安になります。12日には、辰巳の公園で不審者がいました。
翌日の夜に、住民の知人がライトアップに関する指摘がありましたね。その後、管理組合理事長にお話をして、対応してもらったのを思い出します。
さて、東日本大震災を振り返る・湾岸地区の地震対策-part2の文末の話を回収していませんでした。
震災当日、体調不良でフローレンスの方と自宅にいた長女がいなかった件。
30分かけて、40数階の部屋に階段で上がった後、娘が家にいない。
大分途方に暮れてしまったのですが、落ち着いて考えたら、下に降りちゃったんだなと。
というのも、それまでマンションの避難訓練で、毎回、階段で降りる訓練をしていて、それを長女が覚えていたんだろうと。
まだ、エレベータは動いていなかったので、次女を抱えて、また40数階分を階段でおりました。さすがに、登りより楽だったですね。その時の記憶がありません。
マンションの1,2階が共用部なので、2階から1階にかけて見回したところ、ほどなく長女を発見。フローレンスの方と一緒に。
震災時、大丈夫だった?と聞くと、引き戸がバタバタしていたくらいだったと。
体調も、インフルエンザで熱が下がりきった後の待機期間だったこともあり、あまり、影響がなさそうでした。
ちなみに、その後、避難訓練での階段で降りる訓練はやめました。
さて、震災2日目、まだ、大きな問題は気が付いていませんでしたね。続いて、3日目の話です。