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東日本大震災を振り返る・湾岸地区の地震対策 part2

震災が起こったのは、2011年3月11日(金)14時46分。

私は、有楽町の新東京ビルおり、震災時は、すかさず机の下にもぐったのを覚えています。

社内のテレビでは、宮城県震度7と放送されて、びっくりしました。


確か、社内のガラスも割れていたり、柱にひびが入っていたりと、なかなか大変でした。


社内に残っていた同僚もいたのですが、子供が家にいたこともあり急いで豊洲の自宅に向かいました。


実は、当日、長女が体調不良の為、フローレンスをお願いして自宅にいました。また、次女は、シティータワーズ シンボル 一階のアスクに預けていました。


さて、新東京ビルを出て、徒歩しか選択肢がないと思い、鍜治橋通りを八丁堀方面に歩き出しました。そして、途中でも、余震がありました。当時は鍛冶橋通り沿いの八重洲界隈は古いビルも多かったので、なかなか怖かった記憶があります。


その後、宝町近辺で、都バスが走っているんじゃないかと思い、八重洲通の方まで歩きました。そして、多分、八丁堀2丁目バス停あたりで、東16番の都バスに乗ることができ、バスで豊洲に向かいました。


バスに乗って、リバーシティーを超えたあたりで、パークシティ豊洲が見えたと思うのですが、実物を見るまでは、倒壊していたらどうしようと、だいぶドキドキしていたことを思い出します。


その後、バス内で、無事、パークシティ豊洲が存在していたのを発見し、ユニシス前バス停(IHIかな)でおり、アスクのあるシティータワーズに向かいました。


確か、16時15分くらいには到着していたと思われます。


アスクの先生とお話し、多くの子供たちが寝ていて、うちの子も寝てますよ。って聞いたときは、案外びっくりしました。。それだけ、シンボルは揺れが抑えられたのかもしれません。


そして、1歳の若子を抱えて、パークシティ豊洲につきました。エレベーターは動いていません。


先述の通り、長女は自宅にいるので、腹くくって階段で上がることとしました。自宅は四十数階です。


登り始めて、30階を超えると、1階1階がきつくなり、休み休みの登頂です。次女を抱っこしながら、リュックタイプのかばんも背負っていたのですが、途中、かばんはおいていきました。


その間、エレベーターを発明した人は、本当にすごい。と思った次第です(笑)



そして、以下、少し落ち着いて当時つぶやいた内容です。


そして、登頂開始後30分くらいかかって、自宅についたようです。



前後しますが、16時半前についた時につぶやいた内容です。。


そして、前の記事(東日本大震災を振り返る・湾岸地区の地震対策 part1)の写真は、自宅についてすこし落ち着いてから撮影しました。


小雪も待っていたような記憶があるのですが、写真のようにおどろおどろしい感じでした。


ただ、先のつぶやきにもありますが、自宅にあったように家具も、そして、頭の大きいこけしが倒れていなかったので、案外大丈夫だなと思いました。



しかし、この時、気が気じゃなかった。

長女がいないんです。



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