オリンピックと豊洲の子供たち

平昌オリンピックも終わり、パラリンピックを控えた時期ですが、本日、2020東京オリンピックのキャラクターが決まりました。


伝統と近未来というテーマのようで、東京らしいですね。

そして、2年5か月後には2020東京オリンピックが開催されます。いよいよという感じです。

 

さて、4年半前2020五輪が東京に決定した際、カフェハウスにて豊洲の方々とパブリックビューイングをしました。懐かしいです。

その時の様子を振り返ってみましょう。

☆東京に決定する瞬間

☆山﨑江東区長も来られて、取材を受けられていました。

☆翌日の新聞(毎日新聞)などでも、取り上げられました。

ところで、平昌オリンピックでは色々な競技が楽しめられましたが、特に注目したのが女子カーリング。

前評判が必ずしも高かったわけではなかったですが、普通そうな女の子たちが和気あいあいとカーリングを楽しんでいる姿、そして銅メダルを取ったことに感動を呼びました。

彼女たちの取材でも感動を呼びましたが、特に心に響いたのがこちらの記事。

吉田知那美選手は「正直この町、何にもないよね」と会場を笑わせた後、「(私も)この町にいても絶対夢はかなわないと思っていた。だけど、今はこの町にいなかったら夢はかなわなかったな、と思う」と涙声に。会場に集まった大勢の子どもたちを見つめながら、「たくさん夢はあると思うけど、大切な仲間や家族がいれば、夢はかなう。場所なんて関係ない」

彼女たちが生まれた北海道の常呂町は北見市に合併される前は5000人の街。そのような街からオリンピック銅メダリストを輩出するのはすごいですよね。

ただ、何にもない街ではなく、カーリングに熱い思いがある大人がそこにはいたようです。

 

産経新聞「恩師「小栗のおじさん」に届けたい メダルに挑むカーリング女子「LS北見」」

LS北見の活躍を心から願っていた人がいる。5人が育った北海道北見市常呂町(旧常呂町)にカーリングを広め、昨年5月に88歳で亡くなった常呂カーリング協会初代会長の小栗祐治(ゆうじ)さんだ

 

夢は「過疎の町から五輪を」。周囲は本気にしなかったが小栗さんは違った。指導は厳しかった。基礎を何より重視し、本橋は最初の半年はストーンを持たせてさえもらえなかった。

「小栗さんみたいに熱い人がいなかったら、この町で選手が育つこともなかった」。

 

1人の小栗さんの存在が、カーリングの街「常呂町」を生み、その”弟子”の本橋選手が各地にいる「地元」の選手を呼び寄せて、7年間で銅メダルをとるチームが生まれるというストーリーです。学校の授業でもカーリングをやるようなので、定着感すごいものです。

想像するに、授業でカーリングをやったり、立派なカーリング場を作っていますので、色々な議論や苦労もあったことでしょう。ただ、大人たちが子供たちへ「たくさん夢はあると思うけど、大切な仲間や家族がいれば、夢はかなう。場所なんて関係ない」という思いが、そうさせたのかもしれません。

翻って豊洲の子供たちのことを考えますと、多くの子供達は、親が豊洲に住むことをきっかけにして、そこで生まれ幼稚園・小学校などの通っていると思います。

親たちよりも長い時間、豊洲にいますし、豊洲出身でない親が多い中、豊洲が故郷になります。

地域の大人としては、小栗さんのように子供たちが世界で戦えるような環境をそろえてあげたいですね。さらに、これだけ児童がいる環境ですので、スポーツ、勉強色々な分野で秀でた子供たちが成長して、「ロコ・ソラーレ」のようなチームができると嬉しいです。

 

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。